虫捕り・昆虫採集・昆虫観察をする意味とは?

蝶の生態他
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私の趣味はバタフライウォッチング、つまり蝶を観察することです。蝶以外にもカブトムシやクワガタの飼育をしていますが、メインは蝶の観察です。

子供が虫捕りをして楽しむのはわかるけど、いい大人の趣味が昆虫って、、、

昆虫を捕まえたり観察したりすることの何が楽しいの?

そんなことを疑問に思う人も多いと思います。実際、趣味が蝶の観察だと周囲に言うと、大体の人は「変わった趣味だね」「何が楽しいの?」という反応をします。

あまりにもそういった反応が多いため、私なりの考えを整理するため、この記事では大人が虫捕りや昆虫観察をする意味について考えます。なお、この記事は昆虫愛好家である養老孟子さんの書籍を参考にしています。

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人間関係だけが世界の全てではないことを知る

私が蝶の観察を始めたのは2008年でした。この頃何があったのか?それは人間関係で悩んでいたときでした。身近な人との関係がうまくいかず、非常につらい日々を過ごしていたことを記憶しています。

蝶との出会い

そんな辛い日々の中、私は近所の公園のベンチに座って本を読むことがささやかな幸せでした。晴れて天気の良い日はよく公園のベンチに座っていました。

そんな時、周りにひらひらと美しい蝶が飛んでいるのを見つけました。この時はちょうどコンパクトデジタルカメラを購入した直後であり、何となく蝶を撮影してみようと思いました。

当時は、東京都練馬区にある石神井公園の近くに住んでいたため、よく石神井公園に行っていました。石神井公園は都内でもまだ比較的蝶の種類が豊富で、ミドリシジミなんかも生息しています。色々な蝶と出会う中で、蝶の観察にどんどんハマっていきました。

自然の世界と出会う

蝶と出会う前は、自分の幸不幸の大部分を人間関係が決めていました。人間関係がうまくいっているときは幸せだと感じるし、逆に人間関係がうまくいっていない時は不幸せに感じてしまいます。本当にそれで良いのか?

私は蝶と出会うことで、人間関係以外にも自分の幸せを感じることができる世界を手に入れました。つまり自然の世界です。私は珍しい蝶や美しい蝶と出会えれば、それで幸せを感じることができました。人間関係だけで幸不幸が決まる世界から脱し、例え人間関係がうまくいっていなかったとしても自然の世界から幸せを感じることができるようになりました。

世の中は人間の世界だけではない

現代は人間関係だけで幸不幸を感じ、それに悩んで自ら命を絶ってしまう、そんなことが繰り返されているような気がします。この世の中は人間の世界だけではない、そのことに気が付くかどうかがとても大事だと考えています。

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わからない世界があることを知る

現代のこの世界に生きていると、多くのことが分かっているような気になります。科学の進歩は目覚ましく、例えば天気予報は高い確率で当たります。自然をコントロールできていると思ってしまうのも無理はありません。

知らない世界のことは想像できない人が大多数?

最近のSNSやインターネット上のコメントなどを見ていて、よく不思議な気持ちになります。それは、例えばある社会問題があったとして、その一面だけをみて断定的に論じている人に対してです。

社会問題はほとんどが単純な一側面の問題ではなく、複雑に様々な問題が絡み合って生じています。その背景を全て伝えるネットニュースはありません。私は元官僚ですから、そのことはよくわかります。メディアはアクセスがとれる内容を記事にする傾向があり、問題の本質を伝えないことがあります。そういった記事だけから情報を得て、断定的に批判的なコメントをする人を見ると、残念な気持ちになります。そもそも複雑な社会問題は、何か1つ変えれば全ての問題が解決するような単純な話ではありません。

もしかしたら自分の知らないことがあるんじゃないか、そういう考えを持っていると、断定的に何かを言うことは難しくなります。そして、その問題の背景などを調べるようになります。背景や何が問題になっているのか、解決策はどういったことが考えられるのか、そういった知見を増やしていくことで、ようやく自分なりの考えをアウトプットすることができるようになります。

そういったことをせず、ネットニュースや切り取られた情報だけを基に反射的に断定的なことを言う人に対して不思議な気持ちになります。

自然を相手にすると知らない世界があることを体感できる

自然を相手にしていると知らないこと・わからないことだらけです。例えば、「同じような環境なのに、なぜこっちにはこの蝶はいて、こっちにはいないのか?」「なぜこの蝶はこんな模様なのか」といった具合です。考えても答えはでません。

自然と常に触れ合っていると、もしかしたら自分の知らない世界があるんじゃないか、と考える癖がつくような気がしています。現代の日本には、こういった感覚が必要だと思います。

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結局意味なんかない

虫捕りや昆虫観察は何のためにやっているのか?

  • 自然の世界から幸せを感じることができる
  • 自分が知らない世界があることを認識できる

この2つを紹介しましたが、それは後付けの理由であって、結局は楽しいからやっているということに尽きると思います。

意味があると思うことが間違い

この世の中の物事すべてに意味がある、と考えるのは正しいのでしょうか?

確かに、私たちの身の回りには意味があるモノばかりです。仕事で何かを企画する時に、「特に社会的に意味はないんですけど個人的に興味があるのでこれをやってみたいのです」なんて言えば、すぐに却下されると思います。人間がつくる人工的な世界の中には、意味がないモノは無いのです。

ですが、自然の世界に行くと意味がわからないものだらけです。森の中に落ちている木の枝に対して、お前が存在する意味は何だ?と尋ねても仕方がありません。あらゆることに意味があると思うことが間違いなんだと思います。

結局は楽しいから

結論はこれに付きます。結局は楽しいからです。自然の世界で意味を考えること自体が無意味ですし、それっぽい結論を出すことも無意味なような気がしてしまいます。それが好きでそれが楽しいから、それ以上に理由なんてありません。

「生きる意味は何だ?」

人生に満足していない人はこんな質問をすることがあります。そんなものはないし、考えること自体が無意味だと私は感じてしまいます。

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